カルティエ リング

カルティエリング−このサイトでは、王の宝石商とよばれるカルティエとラブリングの歴史、リングの種類を紹介しています。

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カルティエのリング−カルティエとは

カルティエ(Cartier)は、フランスの高級ブランドのひとつでジュエリー、時計が有名です。宝石商の王であることから「王の宝石商」と呼ばれているフランスの名門ブランドです。

カルティエ ラブリング

女性と男性が身に着ける愛の絆として、有名なラブリングですが、これは、カルティエが世界中の恋人達の為に作った、伝統的なラブブレスレットの精神を忠実に受け継いだリングです。

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カルティエのリング−カルティエラブリングの歴史

1970年、カルティエラブブレスレットが究極の愛のシンボルとしてカルティエニューヨークで発表されました。これが、長年にわたって恋人達に愛されることとなるカルティエラブリングの歴史の誕生でした。

愛と平和が問われた時代に誕生し、その後愛の絆の象徴ともなったジュエリーです。このラブブレスレットは、2つのパーツから構成されたブレスレットで、ひとりでは身につけることができず、誰かに固定してもらわないと着けることが出来ません。

男性から女性へ、また女性から男性へと相手が居なくては、成り立たず、身につけることのできないブレスレット。それが、愛の絆の証といわれる所以です。

発表当時、この究極の愛というコンセプトが、多くの恋人達のこころを捕らえました。このカルティエラブブレスレットを身につけるには、カップルでなくてはならず、愛の誓いがブレスレットとともに交わされました。

多くの有名なセレブたちも、ラブブレスを身につけその2人の愛の証をまわりに示していました。

どんなに時代が移り変わり、月日が経ったとしても、ラブブレスレットは永遠に変わらない美しさでふたりの腕に輝き続けることでしょう。

その精神を忠実に受け継いだリングである、カルティエ2006年クリスマス限定リングも、永遠の愛の証を証明する素敵なリングとして恋人達のこころを虜にする事でしょう。

お互いに束縛したい、、あた束縛されたいという気持ちが秘められたこのカルティエラブリング。恋人達にとって最高にすてきなクリスマスを演出することでしょう。

カルティエリングの種類

  • ラブリング(ラヴリング

    時代がどんなに移り変わったとしても、永遠に愛し続けることのできるのが、カルティエラヴリングです。さりげなく格調の高さを感じさせてくれるカルティエの刻印ロゴが魅力的です。大切な人から貰いたいまさにリングの王道といえるリングです。

  • トリニティ

    ホワイト、イエロー、ピンクゴールドの3連リングが上品に輝く素敵なリングです。今なお、世界の最高級品の逸品としてその名に挙げられるほど、有名で高級感あふれるリングです。

  • ラニエール

    フランス語で「細長い皮紐」を意味する名称をもつリングです。 一本に連なりしなやかなラインを描くそのデザインは、どの角度からも指を美しく魅せてくれます。

  • 2Cリング

    ふたつのCが寄り添って輝く2Cリング。「2C」は「カルティエ」と「クリエーション」という二つの言葉の頭文字のCをコラボレーションして誕生しました。

カルティエのリング−カルティエの歴史

1847年、フランス人宝石細工師のルイ・フランソワ・カルティエがパリのモントルゲイユ街31番地のアドルフ・ピカールのアトリエを譲り受けたのが始まりです。そこで以来150年以上にわたるカルティエの歴史は幕を開けます。

1853年、長年宝石商アドルフ・ピカールの工房で修行してきたルイ・フランソワ・カルティエはパレ・ロワイヤルの隣ヌーヴ・デ・プティ・シャン通り5番街に、自分の店を構えました。。この頃からナポレオン3世皇妃であり、当時のファッションリーダー的存在であったユウジェニー皇妃を顧客に迎えることとなり、王侯貴族たちをとりこにしていきました。59年にはイタリアン大通りに店を移転しました。

1874年、息子のアルフレッド・カルティエが店を引き継ぎ、世間に宝石商としての地位をしらしめました。その後、アルフレッドの3人の息子が後を継ぐことになりましたが、その中でも長男であるルイ・ジョセ・カルティエが芸術とビジネスのセンスに秀でており、かつ人間的な魅力にあふれていることから、現在のカルティエの持つ「洗練」性の基盤を完成しました。

1899年、エレガンスと贅沢の中心であったラ・ベ通り13番地にアルフレッド・カルティエがラ・ペ通りへ店を移転しました。そこで、カルティエは、国際的なジュエラーとしての基盤を築いていきます。

1900年代に入って、彼の3人の孫達によってカルティエは世界的なブランドとなっていきます。ピエールはニューヨークへ進出、ジャックはロンドンへ、そしてルイはパリに店を構えました。特に3代目当主となったルイはアール・デコ様式のジュエリーやファッション性の高い時計を作り上げ、カルティエの名声を高めることとなります。

19世紀後半、ダイヤモンドの輝きを最大限に生かすプラチナを本格的に宝飾品にもちいたのはカルティエが初めてでした。また、当時のイギリス国王であったエドワード7世から「宝石商の王であるがゆえに、王の宝石商」と称えられるほどでした。そのエドワード7世の時代に、イギリス王室の御用達となったカルティエは、その後もイギリス王室の様々な儀式に際して、製品を提供していくことになりました。

1904年、飛行士のアルベルト・サントス・デュモンの「飛行機の操縦桿から手を離さずに見ることのできる時計が欲しい」との言葉を聞いた、友人であったルイ・カルティエが腕時計を製作しました。それまで、名門ジュエラーとして、名高かったカルティエの歴史の中で、初めて腕時計が製作されました。その後、カルティエの腕時計は、近代的に進化し、今や芸術作品にまで昇華されました。ルイ・カルティエが製作した腕時計は「サントス」という名前で現在でも人気が高いものとして知られています。

1924年、ルイ・カルティエは、優れた詩人であり芸術家であるジャン・コクトーを称えてリングをデザインしました。それが、トリ二ティリング、いわゆる3連リングの誕生です。それは、友情を表すホワイト、忠誠を表すイエロー、愛情を表すピンクのそれぞれ異なる色のゴールドを組み合わせ土星をモチーフに製作されています。永遠の愛のシンポルといわれるカルティエ スリーゴールドです。

1970年、最近日本でブームを起こし、すでに定番ともいえるビスで留められている「ラブブレスレット」や「ラブリング」が若きデザイナー、アルド・チプロによりカルティエ ニューヨークの為に作られました。カルティエのその進化の背景には、3代目ルイ・カルティエの言葉「私達は社会の要求に見合った、しかも実用的なものをカルティエ風に装飾して制作する」にあるとおり、カルティエ愛好者からのオーダーに応えることで、カルティエ製品は産み出されてきたのかもしれません。

多くの貴族や諸侯に愛されたカルティエのジュエリーブランドは、いまや国際的にも広く認められ、幅広い層の人々が、そのエレガントで繊細な輝きに魅了されています。カルティエはジュエリーだけでなく、時計、香水、ライター、レザーグッズにもその芸術性を反映させ、いまではゆるぎない高級ブランドの座についています。

2003年には東京 銀座に売場面積が世界最大である「カルティエ銀座」をオープンしました。

カルティエは現在、フランスのコングロマリットであるリシュモングループの傘下にあります。パリ開放を記念して販売されたタンクウォッチは高級腕時計の定番として知られています。

カルティエのリング−指輪(リング)の歴史

指輪(リング)は、手の指にはめる主に金属でできた輪状の装飾品のことを指します。指輪(リング)には、宝石を付したものもあります。また、足の指にはめるものもあります。

指輪(リング)は、有史以来存在していて、現在では、指輪(リング)をはめる指により指輪(リング)に意味があるとされています。左手の薬指につける結婚指輪(リング)は「聖なる誓い」の意味が付されています。素材にされる金属には、金、銀、プラチナなどの貴金属がもっとも多いです。また、歌の詞や物語の題名などの固有名詞には、「指環」と表記されることもあります。 古代においては指輪(リング)は女性に固有のものではなく、ローマでは古くから印鑑として用いられていました。 なお、結婚指輪(リング)については右手の薬指につける国や地域もあります。

現存する最古の指輪(リング)は、古代エジプトの墳墓から発見されたものです。 特に第12王朝ごろから指輪(リング)に不死を象徴するスカラベを彫り込んだり、台座に止めたデザインのものが多く発見されています。第18王朝の頃の指輪(リング)については、純金製でデザインは単調でずっしりと重く、指輪(リング)の所有者の名前と肩書きが象形文字で深く刻み込まれています。他にも象牙や琥珀の指輪(リング)があり、一般市民の間にも青銅、ガラス、陶製の指輪(リング)がありました。

指輪(リング)にスカラベを飾る古代エジプトの風習は、後に各地に伝わり、古代ギリシャやエトルリア、フェニキアなどの指輪(リング)にもスカラベが見られます。ギリシャでは台の一部に平らな広い面を持ち、そこに浮彫りの飾りをつけた金指輪(リング)も使用されていました。フェニキアではスカラベの指輪(リング)が認印の用を果たしていました。また、エトルリアのスカラベには紅玉髄に彫ったものもあります。

ローマ人の指輪(リング)は階級または特権を示すものとして知られています。共和制時代には主に鉄製の指輪(リング)が使われていましたが、奴隷には指輪(リング)の使用は禁じられていました。次に元老院議員や限られた高官にだけ、金の指輪(リング)の使用が認められるようになり、その後一般市民はみんな金の指輪(リング)をはめ、奴隷は鉄の指輪(リング)をするようになりました。しかし、ユスティニアヌス帝の時代にこの制限は全て廃止されました。指輪(リング)を両手の指にたくさんはめる風習は古代エジプトから見られましたが、ローマ人も中指を除く全ての指に指輪(リング)2個ずつはめることがありました。